会社運転手の私用運転について
自動車損害賠償保障法第三条にいわゆる「自己のためにする自動車の運行」に該当するかどうかについては、 いわゆる危険責任ないし報償責任の法理を採用し、運転者の主観にかかわらず、具体的な当該運行が一般的、抽象的に 運行者のためにするものと認めうるか否かによって判断すべきものと解するのが相当と認められるところ、前記認定事実に徴すると、 本件事故当時における被告木内の本件乗用車運転行為は私用のためであることが認められるが、前記被告木内と被告斎藤との身分関係、 本件乗用車の当時における使用の態様からみて、右運行は、なお被告斎藤の前記法条にいわゆる自己の為にする自動車の運行の 範囲に属するものと認めるのが相当である。(東京地裁昭和37年3月31日)
自己の為に自動車を運行の用に供する者の範囲
「自己のために」とは、自動車の運行自体による利益を自己に帰属させることをいうのであって、具体的に運行自体の利益を 自己に帰属させる者だけでなく、一般的・抽象的にあるいは外形上運行自体の利益を自己に帰属させる者も、「自己のために自動車を運行の用に供する者」 であると解すべきであるのは、危険責任及び報償責任の理念の必然的帰結であるといわねばならない。(大阪高裁昭和37年7月26日)
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組合所有の自動車を私用で無断運行中に事故を発生させた場合に、組合を「自己のために自動車を運行の用に供する者」に該当するとした
上告組合は、本件事故当時自動車四台を所有し、係運転手に対しては終業時に自動車を車庫に格納した上自動車の鍵を当直員に返還させる建前をとり、 終業時間外に上司に無断で自動車を使用する事を禁じていたけれども、右自動車及び鍵の管理は従来から必ずしも厳格ではなく、 係運転手において就業時間外に上司に無断で自動車を運転した例も稀ではなく、また、かかる無断使用を封ずるため上告組合において 管理上特段の処置を講じなかったこと、上告組合の運転手である小野寺は、本件事故前日の昭和35年8月13日正午過頃本件自動車を 一旦車庫に納め自動車の鍵を当直員に返納したが、たまたま同日相撲大会に参加するため汽車で盛岡に赴くことになっていたところ、乗車時間に 遅れそうになったので本件自動車を利用して乗車駅の水沢駅まで行こうと考え、同日午後一時半ごろ組合事務室の机上にあった本件自動車の鍵を 当直員や上司に無断で持ち出した上、右自動車を運転して水沢に赴き自動車修理工場を営む菅原方に預け、翌十四日夜盛岡からの帰途 同工場に立寄り本件自動車を運転して帰る途中、原判示の事故を起こしたというのである。そして、原審は、自動車損害賠償保障法 の立法趣旨並びに民法715条に関する判例法の推移を併せ考えるならば、例え事故を生じた当該運行行為が具体的には第三者の無断運転による場合であっても 、自動車の所有者と第三者との間に雇用関係等密接な関係が存し、かつ日常の自動車の運転及び管理状況等からして、客観的外形的には前記自動車所有者等 の為にする運行と認められるときは、右自動車の所有は「自己のために自動車を運行の用に供する者」というべく自動車損害賠償保障法第三条 による損害賠償責任を免れないものと解すべきである。(最高裁昭和39年2月11日)
運転助手による運転は、自動車損害賠償保障法第三条により自動車の保有者が損害賠償責任を負担すべき原因行為の範囲に含まれるか。
自動車の運行による他人の生命身体の加害事態が発生すれば、そのこと自体より一応責任原因が存することが推定され、自己即ち自動車の保有者 及び運転者が、自動車運行につき注意を怠らなかったこと即ち過失なきことを立証する以外に、被害者又は運転者以外の第三者に故意過失があったこと 及び自動車に構造上の欠陥、機能の障害がなかったこと、換言すれば、自らは構造機能の完全な自動車を過失なく運行していたにも拘らず、 他人が故意過失に因りこれに対し事故を生ぜしめたことを完全に立証しえた場合でなければ、右の責任は免責されない旨が定められており、 過失責任の建前は原則的には是認されながらも、事故の無過失以上の事柄の立証なき限り、過失を推定する点から見ると、右の反証を果たし得ない限り、 無過失責任を負担せしめたのとほぼ同様の結果となり、その責任は民法上のそれに比して甚だしく加重されたものということができる。 右法条の構想より、その基盤にいわゆる危険責任の思想を推定する事は極めて容易である。右法条の示す責任主体と責任行為の範囲を解釈するについても 無視し得ないものであるところ、ここでいう責任主体は、「自己のために自動車を運行の用に供する者」であり、同法第二条第三項の「保有者」 を指称する事は明白であって、控訴人がこれに該当する事は控訴人も明らかに争わないところである。次に責任行為について見るに、右法条は 単に「その運行」と規定するのみで、如何なる者による如何なる性質の運行であるかにつき、一見何等の制限を置かないように見え、 その運行が「自己のために」するものであること、即ち「自己のための運行」であることに限定されたものとも解せられない。けだし、右法条にいう 「自己のために」は前記の責任主体それ自身についての限定と解する外ないことは、文言上も明白である上に、若し仮に「自己のために」なる要件が、 右責任主体の責任行為をも限定するものとすれば、保有者のためでない運行例えば運転者による不正使用の如きは当然除外せられる結果を是認しなければならず、 その結果は、学説、判例上認められてきた民法715条による責任の範囲に比較しても明らかに権衡を失して妥当を欠き、前述の危険責任の立場にも背馳する 結果となるであろう。そして右の運行を何等か限定する必要があるとすれば、それは右のような「自己のため」なる主観的要件ではなく、公平妥当な 客観的要件に拠るべきであることは、危険責任の具体的基準としてみた場合、最も適当と考えることができる。そこで右の自賠法第三条が、 責任行為として如何なる「運行」を予想しているかを検討するにつき好適の資料として、同条但書の規定を見るに、その免責要件として規定された中に、 「自己および運転者」が自動車の「運行」に関し注意を怠らなかったこと、という要件を掲げており、また、右に「運転者」とは、同法第二条第四項に従って、 「他人のために自動車の運転又は運転の補助に従事する者」を指称するのであるから、これらの規定により見ると、自動車の保有者は、自己自ら、又は 特にその運転者又は補助者としてその自動車を使用させることにした者によって、その自動車が運行されることを予定し、また右以外の者によって 運行されることは通常予定しないところから、右自賠法第三条も、かかる保有者の予定した者による自動車の運行を責任行為として予想しているものと みるべきことは、充分に首肯できる事柄である。そして右の「運転の補助に従事する者」とは、その範囲は必ずしも明確とはいえないが、少なくとも 自動車助手がこれに該当することは、疑いがない。要するに、責任主体たる自動車保有者に帰責される責任行為は、保有者がその自動車の取扱者として 予定した運転手や助手等の行為の範囲に限定することは、無関係な第三者による盗用の場合等の責任を免除することになって、結果的にも妥当と考えられるが、 反面に、保有者の予定した者、例えば運転者、助手による運行である以上、その具体的運行の目的、動機が保有者のためであると否とを問わず。 従って同人等による無断使用の場合をも除外しない結果になるが、かかる者のかかる使用は、保有者の一応予期することができ、注意と監督によって制限、 防止することは当然可能であるから、客観的責任の範囲として右のような使用行為の責任をも包含せしめることは、社会通念上も妥当であり、 危険責任の見地からも当然に是認せらるべきであると考える。(大阪高裁昭和37年5月7日)
休日中に起きた運転手の無断運転事故について、雇用主に自動車損害賠償保障法三条による責任が認められた
被控訴人は、右事故は被控訴人の営業の休みの日に起こったもので、田尻は被控訴人の営業とは何ら関係なく勝手にジープを運転して、右事故を 引き起こしたものであるから、賠償責任を負わないと争うので、この点について考えるに、自動車損害賠償保障法三条に所謂「自己のために自動車を運行の用に供するものは 、その運行によって他人の生命又は身体を害したとき」とは、自動車を本来の用途に従って利用するため所有するものが、自分の為にする運行によって他人の 生命身体に損害を与えたことを意味し、その自分の為にする運行は、所有者の意思に基づいてある目的のためにその自動車が運転される場合、及び それと関連性を持つ意味において運転される場合は勿論、そのほか、広く抽象的一般的に所有者の運転と見られる場合には、すべてこれに含まれる ものと解すべきである。ところで、本件においては、被控訴人の使用人である田尻が被控訴人所有の前記ジープを運転して前記事故を引き起こしたものであることは 、右認定のとおりである。かかる雇用関係にある者が、その勤め先の自動車を運行した場合には、特別の事情の認められない限り、前記説示に従い、 該自動車の所有者である被控訴人に、その運行によって生ぜしめられた損害の賠償に任ぜしめるのを相当と考える。(大阪高裁昭和39年3月6日)
従業員が出勤途中で会社所有の自動車で起こした事故につき、会社に自動車損害賠償保障法三条の責任が認められた
被告は、右事故によって生じた結果について、その責任負担の業務のあることを争っているので、審按するに、右衝突事故を 引き起こした際に、前記自動車を運転していた前記訴外高見世が、被告会社に雇われていたその従業員たる自動車運転者であった事、 及び右事故を引き起こした右自動車が被告会社の所有であって、被告会社がその運行の用に供していたものであることは、共に、 当事者間に争いがなく、而して、(証拠略)を総合すると、右訴外高見世は、右事故の発生した日の前日、被告会社社長今関が、 養老渓谷で開催された同窓会に出席するため、同社長の命によって、養老渓谷まで往復し、帰社が遅くなって、交通機関もなくなっていたので、 同社長の許可を得て、右自動車を使用して帰宅し、翌朝、同車を使用運転して出勤し、その途中に於いて、前記衝突事故を引き起こしたものであることが 認められ、この認定を動かすに足る証拠はなく、而して、自動車の保有者がその運行の結果について責任を負担するに至る前提要件は、 保有者が、その保有する自動車に対して、直接の管理関係を有することを必要とすると解されるものであり、又、従業員による 自動車の運行は、従業員がその地位においてこれをなすものであって、その地位は、保有者に従属し、従って、従業員の自動車に対する 管理関係は、法律上当然に保有者のそれに包含せられ、その管理関係を保有者のそれから離脱せしめる特段の事情のない限り、 独立の管理関係は、これをもつことのないものであると解されるものであるところ、右認定の事実によると、被告会社は、 前記自動車の保有者であって、それに対する直接の管理関係を有し、または、前期訴外高見世は、被告会社の従業員たる運転者であって、 右自動車に対する管理関係は、被告会社のそれに包含されているものであること、及び前記事故当日における右訴外人の右自動車の 使用運転は、被告会社の社長の許可を得たそれであって、その管理関係は、被告会社のそれを離脱していなかったものであることが 認められるので、前記事故発生当時における前記自動車に対する管理関係は、被告会社のそれから離脱していなかったというべく、 従って、右事故発生当時におけるその運行は、被告会社の管理化におけるそれであるといわざるを得ないものであり、然る以上、 右事故発生の当時における右自動車の運行は、被告会社の為になされたそれであると判定せざるを得ないものであるから、 被告会社は、右自動車の保有者として右事故によって生じた結果について、その責任を負担しなければならないもの であるといわざるを得ないものである。(千葉地裁昭和40年1月30日判決)